「時間と・場所」にとらわれないリモートワーク~チームで働くSOHOから障害者のICT支援へ

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女性のライフイベントである結婚、出産は同時に「仕事のありかた」を見直すタイミングです。何かの事情を抱えて、出退勤のある働き方のできない人にとって、リモートワークは突破口じゃないか?そんな課題に正面から取り組み、チームでリモートワークしている女性がいます。
出産退職での地方都市への転居からSOHOスタート、リモートワークチームを立ち上げて企業の管理職、そして「働くことをあきらめない」障害者就労へ。「チームで働くリモートワーク」を実践する、田崎輝美さんのインタビューを2回に分けてお送りします。今回は、山梨県初のリモートワークを開始するまでのお話をお届けします。

田崎輝美(Terumi Tasaki)
1965年東京都生まれ。株式会社カルク情報教育・ソリューション担当課長、NPO法人バーチャル工房やまなし副理事を兼任。山梨県の「テレワーク・リモートワークの母」家族は夫と子供二人(詳細は本文にて)

e-JAPAN戦略の波に乗りSOHOからテレワークへ

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山梨で子育てしながらインストラクターをしていた頃

 

―田崎さんの経歴は、広い意味でのリモートワークのいくつかのタイプに重複して見えます。スタート時点はどのような感じだったのでしょうか?

田崎輝美さん(以下敬称略):発端はWindows98発表の1998年に遡ります。当時、妊娠中だった私は東京で働き、夫は山梨で勤務する週末婚のような生活をしていました。長男出産で退職し、子供を連れて山梨に移住したんです。結婚が遅く、長く勤務したことで割と責任ある立場で働けていたため、そのご縁でお仕事を頂いて自宅でPC作業を始めました。ISDNも通ったばかり、iモードもまだない頃です。それで「この方法なら、仕事できるな。」と。当時はテレワークではなく、「SOHO(※small offce home officeの頭文字をとったもの)」と呼ばれてました。

そこから徐々に口コミで仕事が増えて「お手伝い欲しいなー」となり、私と同じような主婦の人、ママ友とかが5、6人くらい集まって「ミニ版クラウドソーシング」のようなものができていったんです。これが現在のリモートワークチームの原型になりました。

―まさに時代の波に乗っていく感じですね。発足当初は、どんなお仕事が多かったのですか?

田崎:当時は森首相のe-JAPAN戦略で、「インターネットが使える、教えられるインストラクターが必要だ!」と税金でICTを推し進める気運が高かった頃でした。転居後、派遣会社に登録したら、在職中の教える仕事の実績とインターネットを使った経験があったため「パソコンインストラクター募集」がきて、みるみるうちに仕事が急増しました。

SOHOチームも最初はアンケート集計やデーターエントリー、HTMLでホームページをゼロから立ち上げ等を、インターネット経由で、全員で振り分けての作業だったのが、e-JAPAN本格化で、みんな一斉に「講師業をやりながら、在宅でも仕事」という形に変化しました。当時の講師業やホームページ作成は高単価で、子供を預けて9時‐5時で働くより、1日2時間、実働週4日間でも、効率が良かったんです。

スキルがあれば女性が子供を預けずに「リモート」で働ける!

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二人の子供を育てながらリモートワークへ
―スキルを持つことでリモートワークが可能になったわけですね。始めてみた印象などは?

田崎:「SOHOってスゴイ!」と思いましたね。
子育てをしながら自分で仕事のスケジュールを決められる自由度は、会社勤めにはないもの。SOHOなら時間をやりくりして働ける。
私は自分のキャリアを捨てて山梨に来たけど、子供を育てながら仕事をすることで、ある程度は子供に対しても胸を張れるというか?「このページ、ママが作ったんだよ」って。仕事の内容問わず、そういう自負ってすごく大事だなーと思うようになりました(笑)。それで、こんな生き方・働き方が「できる女性の集団」を広げていきたいな、と考え始めたんです。

―その後、株式会社カルクの会社員としてリモートワークチームを率いるようになられたわけですね。

田崎:カルクの当時の社長(現・会長)から、「今、田崎さんが一人でやっていることを、そのままウチの会社の中でやればいい。」とお誘いを頂きました。カルクは元々、パソコン販売からICT関連事業を包括的に展開しており、私は教育グループという部署で初の既婚子持ち入社、初の女性管理職となりました(苦笑)

当時は、1日3回、午前・午後・夜に講義する多忙さで、社員は私だけ。グループメンバーはスタッフ契約のリモートワーカーでした。インストラクター業って、子育て期のお母さんにはとってもイイ仕事なんです。(笑)企業がお休みの年度初めや年度末、年末年始などは仕事が入らず、仕事始めもゆっくりだから非常にやりやすい。

チームで進めるリモートワークから自身もリモート勤務へ

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―「リモートチーム」という形は最初から意識されていたのですか?

田崎:入社以前から、業務は「チームで仕事」という形で進めないといけないと考えていました。
元々、個人的には待機児童や病後児、保育園問題等について「どうして働いている、仕事で活躍するお母さんと子供を引き離すの?」と疑問でした。自分が子持ちで働いていたから「なぜ、子供と一緒に働けないの?」と。個々人の事情によって、働く女性は「両立しないといけないこと」が必ずある。それを出社と勤務時間の制約がされると身動きが取れません。これじゃ母親って「時間場所障がい者」だろ!なんて思ってました。後に、障がい者のパソコン教室で講師を務めたことから「何か事情がある」「時間・場所の制約」の条件にリモートワークの有効性を更に実感しましたね。

―チームの皆さんとはどんな連絡手段を利用しておられましたか?

田崎:開始当時は、メールと掲示板のほかに、クローズのBBSを使いました。BBSでは「山梨ならではのビジネス事情」など、仕事を取る上では社員でいることのメリットもある、という発見もありました。山梨って実は、「自営型テレワーク率全国NO.1」なんです(日本テレワーク協会調べ)。でも私は、自営型ではなく、企業内でリモートワークを使って仕事ができる仕組みの確立、普及がしたくて、会社員を続けている感じでした。社長さんが好きな場所で勝手に働く持ち帰り残業でなく、「チームで働いてて、個々のメンバーがどこにいてもチームとしての仕事ができる」という形を作りたかった。

―まさに雇用型テレワーク、リモートワークを定番化させたい!という感じですね。後にご自身もリモートワーカーになられた

田崎:2000年問題目前で、インストラクターも大忙しという頃、テレワークのスタッフとチームで働いていると、私だけが「社員だから出社が当然」になって。これまでSOHOで「時間、場所に障害を持つ働く母」が、「時間と場所にとらわれず働ける」を推進してきた企業のはずなのに、なんで?と。当時は管理職だったんで裁量権もあり要望しました。

上司は、OKしてくれたけど、「じゃ、会社全体としてどうなんだ?」って点は、やはりなかなか許されてなかったですね。「でも、それ、おかしいじゃん?」と。

当時は長だったので、労務管理上はグループウェアで「9時から12時までは教材作成(自宅)」みたいな形で情報共有していました。グループウェア自体は、リモートになる以前から使われていて、移行はスムーズでしたね

リモートワーク実務で重要な「実績」「コミュニケーション」「状況の共有」

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―リモートワークを始められてから、特に意識されていたことはありますか?

田崎:「成果上げておかないと、いつ後ろ指刺されるか分からない」という厳しさはすごく感じました。
リモートワークの高い自由度の分、自他ともに目に見える結果は出さないと。逆に「成果上がってれば、何を言われても太刀打ちできる」という意識もありました。リモート移行当時は障害者ICT就労に関連する講習会や、大規模の高額案件が多かったんです。それらもテレワーク前提の事業でしたから「テレワークしまーす」って言えた(笑)
一方、情報共有については、技術が進歩してリモート環境は改善しても、利用する側にも「リモートのためのコミュニケーション術」が必要だと感じます。

―具体的にはどんなことですか?

田崎:「互いに経験値をリモートでも共有できるようなコミュニケーションができること」が必須条件ということかな。会社にいると自分の経験値以外の「知識・情報」が、同じ場所にいるだけで自然と共有できるメリットがある。ネット上の通信手段って、例えばskypeなんかだと、切ってしまうと「孤独」だし(笑)、メールも基本的には一方通行です。私が障害者ICT就労をスタートしたのはそんな時期でした。

当時は障害者の社会参画の機会も限られていて、他者との場の共有や、働いた経験が少ない人が多かった。そこにリモート環境で「物理的な場の共有」ができない条件が重なると齟齬が起きやすい。これは、障害者に限らず、誰でも同じことですが、障害者就労に関われたからこそ気づけたと思います。
東日本大震災でSNSが急激に注目され、ネット上の通信手段もカメラや複数通話可が増えて、ハード面では経験値の共有や情報の共有が、非常にやりやすくなってきました。物理的な場の共有がないことで起こる齟齬は、凄く減ってきた印象があります。

一方で、対面コミュニケーションの機会も失くしてはいけないですね。その意味でコワーキングスペースに未来を感じます。企業の中では、場と「やりたいこと」を共有していく仕組みは、社内の人にしか変えられないと思います。どこか1点でも「外部と社内をつなぐ点」が欲しい!という思いが、会社員とNPO法人の両方に関わっている理由でもあります。

―子育てとの両立しながら、チームでリモートワークをして行く秘訣は何でしょう?

田崎:私自身が子育てとSOHO同時スタートで、18年間両立して続けてこられたのは、同じく子育てをしながらSOHOできる、しかも少しスキルの高いチームのメンバーが居たからこそだと思っています。ポイントは、

・早めの情報発信
・状況の共有
・チームワーク

ですね。例えば「ちょっと、今、子供が7度9分(汗)」とか「明日の講座、私、担当講師なんだけど」って状況のときに先に言っておくと、誰かにスタンバイしておいてもらうとか。

これからの社会は、介護や、難病、障害、子育て、闘病(ガンなど)等で「課題を抱えず、仕事だけに没頭できる人」は激減すると思います。子育てと介護が重なる「ダブルケア」は、無職では経済負担も大きい。学費全額が奨学金で、親子で返済中の人も増えています。この状況だと65歳退職は困難ですよね。私もこれから突入する年代なので、サラリーマンと、定年後もできる仕事のデュアルでやっていかないと、と考えますね。

「地方から発信するリモートワーク」への期待

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―山梨県のような地方都市では、子育てとリモートワークを両立させるメリットが大きいですね。

田崎:私は最初東京で働いたけど、子育てはホントに山梨でできてよかったと思うんです。でも、東京と、山梨の会社を比較して「どうして県内だけで仕事を回そうとするの?」とも思ってしまいます。
山梨県内企業に「これだけの技術があるから大丈夫!もっと東京から受注を!」と言っても、東京の人と商談になると気後れしてしまう。パソコンの技術も多種多様だから、超ハイスキルでなくても、量優先な仕事とか、需要の高いスキルであれば、東京から地方に仕事を取ってこられると思います。東京から仕事を貰って山梨で子育てする。コレ、一番いいんじゃない!?って(笑)

―地元企業さんがリモートワークの導入を進めて、県外からの仕事受注を増やすことも考えられますね。

田崎:あるいは東京の企業が、山梨のリモートワーカーを雇用する形や、東京勤務から山梨で子育てしたいなーと思った人が、リモートワーカーとして転居ができるとか。山梨なら都心、週に1,2回の出社、可能ですよ。週末婚時代の私は、フレックスタイム制もなく、時間休を貰って出勤時間をずらしていましたが、今は7時台の特急で9時には新宿の会社に出社できます。

山梨から都内へ10時頃に出勤して行く人もいますし、お子さんの進学のため単身赴任になる場合など、お父さんが大変です。先日、会った方は、神奈川在住で「朝5時に家を出て、9時には甲府にいます。」と・・・リモートワーク出来たらいいのにと思います。週2日や月水金だけの通勤ならば通勤費軽減できる。2時間の通勤時間分を仕事できれば、どれだけ効率があがるのかと。すごくもったいないですよね。

―リモートワークで負担軽減につながりますね。田崎さんのリモートワークに思うところを一言お願いします。

田崎:NPO活動も含めて、両方合わせて自分が今までやってきたことは何なのか?ということを考えると、原点があるんですよ。「時間と場所に制約されずに、チームで働くこと」という。これが実現できるのがリモートワークだと思います。

―長時間ありがとうございました。田崎さんには、まだまだお聞きしたいことがたくさんありました。次回は、障がい者ICT就労についてお話を伺いたいと思います。

この記事の著者:Ruaha 裕子(Yuko Ruaha)

設計業、測量補助などを経て米国人の夫と結婚後、山梨県へ移り住む。子どもの発達障害をきっかけに携帯小説の執筆を始めたことがきっかけとなって、Webライティングの道へ。通年、夫の個人事業に携わりながら、農繁期は地域貢献のための援農に従事しながら、主にクラウドソーシングでライティングを行っている。地方都市とリモートワーク、障がい者就労とリモートワーク、農業とリモートワークなどの未来を夢見る「田舎のトリプルワーカー」。


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by caster-biz